コミュ力がないのではなくて、自己肯定感が低いのでは?な話

コミュ力の根幹に自己肯定がある

もういい大人な歳になり、やっと気づいたことが1つ。

コミュ力がない」ことの1つの原因に「自己肯定感が低い」があるなと思ったこと。

コミュ力がない話

私の話にはなりますが、長年「女子」という共感コミュニティにもいたし、接客業で人と接するノウハウは学んできたつもりなので、表面上は大丈夫なつもり。
でもどんなに優しい人とでも「他人とコミュニケーションが取りづらいなあ」って思いながら喋っていることが多い。

ここ10年くらい、自分、コミュ障だ、と思うことが多い。

ニュートラルな接し方は知っているものの、つまりは接し方が全員一緒なことに気がつく。

つまり結構社交辞令。
一歩踏み込むコミュニケーションが取れない。
今度XXしましょ〜って喋っていて実現したことがあまりない。

だから、「仲のいい人」と自分で思う人ができない。

でもこれって何故なんだろうって考えて、答えがなんとなく出た気がする。

ズバリ、自己肯定感が低いこと。

自己肯定感が低い話

自分のコミュ力の無さを自己肯定感にすり替えたいわけではなく、あくまで「自己肯定感が高ければもっとコミュ力あっただろうな〜」という話がしたい。

例えばAさんに「仲良くなろうよ」って言われたとする。私は「もちろん!」という言葉をいいたいのに、『Aさんはほんの社交辞令で言ってるだけなんだ、本気にするなよ、自分』と思って「ですね〜」という曖昧な返事を返して、その後どこか壁を作ってしまったりする。

プラスのことを言われても、自分の「そんなわけないよな〜」が邪魔をしてしまう。

あと、お笑いでもないのに他人を弄るのを、笑ってしまうのが苦手だ。「自分なんてそんな大した存在じゃないのに、あの人が弄られているのを笑えない・・・」とか思ってしまう。

オンライン飲み会などで変な間が空いたり、うまく喋れなかったりすると「私がいない飲み会の方が楽しいのでは・・・」と思ってしまう。

自分がダメな存在だと思っているから、「いい子な自分」を演じるようにもなった。
(相手が望むこと、望んでいるであろうことを、能力が低いのに実現しようとする)

この、自己肯定感の低さが、自分にコミュ力がない原因な気がする。

とりあえず自己肯定感は大切

昔の職場で適応障害になったのも、突発性難聴になっても自分を追い詰めてしまったのも自己肯定感が関係している気がする。
「こんな私を雇ってくれた、こんな私に仕事を任せてもらえている」そんな気持ちで、体が壊れるまで働いてしまった。周りにはヘラヘラしていたので、職場のみんなも「なんだあいつ・・・」って感じだったろう。

自己肯定感からくる思い込みさえなければ、適切なコミュニケーションを会社と取って、うまくやれていたかもしれない。

という考察だけ、深夜に残して、

どうぶつの森をして寝ます。