普通に幸せになる、ということへのハードルが高い話

みなさん、普通に幸せですか

なんて問いかけるとかなり宗教じみたブログだと思われそうなのですが、宗教とかまったく関係ない話です。

私は高校生くらいまで、「自分が普通に幸せになる」と自信を持って思っていました。
普通ってなんだという感じですが、私が思っていた普通は、20半ばくらいには結婚して子供を産んで、でもちゃんと正社員では働いて、30くらいにはママ友もできてはしゃいで、みたいな人生でした。
たぶん母親がロールモデルです。

高校生の自分には、大人はみんな普通の人生をあゆんで幸せになっているように見えました。

大学生になって、知見も交友関係も広がって、そうではないと思い始めました。
幸せに見えるひと、幸せ時々悲しいひと、悲しい時々幸せのひと、悲しいことが多いひと、大人にはいろんな種類があって。どれも一概に「普通」なんて言葉じゃ表せなかったんです。

急に不安になったのを覚えています。「私は普通に幸せになれるのだろうか」と。

父親が4度泣いた話

自分が幸せになれるかどうかの話で思い出すのは、母親が最近良く私に言う「お父さんは4度娘のことで泣いた」。
私は上に2人姉がいて、どちらも結婚してどちらも割と早く離婚しました。(特に歳が近い姉は最近のことです)それを指しているらしく、暗に「自分たちはもう悲しみたくない」ということを私に伝えているセリフだと思っています。

九州の田舎にいて、子供が4人いて、孫がいない。母と父にとってはどれだけつらいことなのか、その地域にいた私は痛いほどわかります。ましてや、田舎で、出戻りで、姉がヒソヒソされることもあったでしょう。

「普通の幸せ」

だから、私は「普通に幸せ」にならないといけない、と漫然とプレッシャーを感じていたのかもしれません。

少し前に1年、付き合った人がいました。彼も「普通の幸せ」を望んでいる人でした。でも、根本的なものの考え方や価値観があわず、また、彼が付き合っている前からの習慣というか悪グセが無くなっていない事が発覚し、男性自体信じられなく、つらくなる日も多くなっていました。

ちょうどその時に仕事でもうまく行かないことが多く、塞ぎ込んで、大丈夫と繰り返すようになって、本当に辛いと言いたかったけれど、私は「普通の幸せ」が30になる前にどうしても欲しくて諦めることができませんでした(もちろん彼に情がある前提で)。苦しいとたくさん言ってしまうと、愛想をつかされてしまうと思っていました。

でも全然大丈夫でなく、時にはおかしいこともあったと思います。だから自分も相手も極限まで追い詰められてしまいました。

というかそもそも好きとかじゃなくて打算的に付き合った部分があったのが悪かったかもしれない。


私も「普通の幸せ」、掴めなかったなーーーーー!!!!!!!!!


くやしいーーーーー!!!

 

35まで独身だったら諦めて60年生きると言われているゾウリクガメを飼うので、
知り合いのみなさんにはお葉書を送ります。

とりあえずリハビリに誰か飲みに行きましょう。

オンゲーでもいいです。

あといいお家情報を。。